高松宮妃殿下の御発願により、吉田五十八先生が建設され、昭和43年5月に建立されたものです。火災を憂慮してのコンクリート建ではありますが、藤原時代の寝殿伽藍の形式にのっとり、お堂は池によって建てられ、軒組には枓栱を用いず、屋根は銅板葺きにして典雅清浄の趣をあらわしているのみならず、池の周囲には山吹を植えめぐらし、境内には諸種の花樹を配し、尼寺らしいあでやかさをも添えています。

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 東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める仏像であります。また国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。

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 この繍帳は、聖徳太子薨去ののち、その妃橘大郎女が太子追慕のあまり、宮中の釆女たちに命じ、いま、太子様が住生なさっていらっしゃる天寿国という理想浄土のありさまを刺繍せしめられたものです。

 もとは、繍帳二帳よりなり、そこに400字の銘文が刺繍されていましたが、その曼荼羅も年の経つにつれて破損し、法隆寺の宝蔵に秘せられてあったのを鎌倉時代当寺の中興信如比丘尼が見つけられ、京都で修復され、別に一帳の複製を作られたといわれています。現存しています繍帳は、最初のもと、その鎌倉時代に作られたものが、まざり合って残欠一帳に纒めて修復されたのが現在の曼荼羅です。